意味の存在意義

 意味はもういるのか






 前に、言葉の意味という題材で現代の言葉の現状を書いたが、あのあともずっと現状について考えていた。
すると、言葉の意味なんてもうないのではないかということに行き着いてしまった。

今回は前回の続きというような形で話していく。

 今現在、物事をちゃんと詳しく説明できる人はいるのだろうか。
相手に自分の言いたいことを察してもらうだとかはもちろんダメだ。

 たぶん、大抵の人は説明できないだろう。
相手に委ねるのがオチだ。
 
  全員がそうとは言わないがこの現場は間違いなく存在しているはずだ。

 なぜこうなってしまうのか。
知識がない、ボキャブラリーがない。
こう言ったことが挙げられるだろう。
 しかしそれに限った話ではない。そもそもとして言葉自体を知らなければ感覚に頼るような説明は起こらないわけだ。

何故か。
それは口頭、文字でなにかの言葉を初めて知った時に、同時に意味も知ることになるわけだが、その時に意味を感覚、なんとなくで捉えてしまうからだ。

言葉の意味というのはちゃんと辞書で定義されている。
しかしそれを難しいから一般的に、実用的に崩して世間に伝わっていく。
そしてさらに、崩したものは感覚で捉えやすいからいずれ曖昧になっていく。

いまの日本の言葉はそういう状態であるわけだ。

なので意味はもういらない。
とはならない、なぜか。

 それはこの曖昧な状態もある程度意味が土台にあるためだ。
全てそうとは言い難いが、ある程度意味があることでそこから崩れていくので必ずしも要らないとは言えない。

つまり、意味の存在意義は少なからずある、というわけだ。

 皆はこれをみてどう思っただろうか。
ぜひ考えを深めてみて欲しい。














 











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